音楽と私

私はこの8月で46才になりました。おやじが音楽を仕事にしていたせいか、小さい頃から音楽には馴染んでいたようであります。テレビもない子どもの頃はラジオから聞こえてくる歌謡曲などが私が音楽と出会った最初なのかもしれません。歌詞の意味も分からず三橋美智也や春日八朗の歌をよく口ずさんでいたようです。洋楽に関してはそのころの記憶はまったくありません。多分小学校の4、5年生のころ、家にテレビが現れて音楽に対する見方も少し変わってきたように思います。それまでの聞く音楽から、見て聞ける音楽へと変化しました。それまで想像の中だけにあったミュージシャンの姿を見ながら音楽が聞けるようになったのです。中学生になると日本の音楽も歌謡曲とならんで洋楽のパクリ(洋楽を日本語の歌詞で唄うもの)などが増えてきて、知らず知らずの内に洋楽を口ずさむようになってきました。それにアメリカの音楽ショー番組(アンディー・ウイリアムス・ショーやエド・サリバン・ショーなど)を見られるようになってきたのです。そこで外人のミュージシャンたちに出会うことができたのです。
そしてギターとの出会いがありました。いろんな楽器の中でギターほど私を夢中にさせたものはありませんでした。最初に友達から500円で買ったギターはボデーはひび割れネックはそっているようなギターでしたが夢中で弾いたものでした。そして世の中はエレキブームへと。高校に入ってバンドを組み、私のギター熱はますますエスカレートしていきました。ベンチャーズ、シャドウズ、アストロノウツなどのインストものをコピーしまくったものでした。でも一番、自分が影響を受けたのはビートルズでしょうか。とにかく彼らはアルバムを出すごとにすごくなっていきました。最後は我々の手の届かないところまで行ってしまいました。私はビートルズの曲の難解な詩や奇抜なコード進行に完全にハマッていきました。そのころ私はビートルズのコピーバンドを結成し約一年ほど、ビートルズとともに生きたのでした。今から思えばあの一年間がもっとも充実した期間だったように思います。20才で結婚し、音楽とはよほど縁のない生活を20年ほどやってきましたが、やはりその間もギターは最低一本は家にありました。生活が落ち着いてきて、自分が心地よい場所はどこかと探していると、ライブハウスというものに巡り会えたのでした。恥ずかしい話ですが、結婚して以来そういう場所にはほとんど出入りをしたことがなかったのです。そこでビートルズ以来のカルチャーショックを受けたのでした。そうなんだ。身近にこんな素晴らしい音楽をやってる人達がたくさんいるではないかと。そしてその熱はいまだに冷めることはありません。ライブハウスでいろんな人とめぐりあえました。いままで、いろんなジャンルの人と付き合ってきましたが、ライブハウスで知り合った人はミュージシャンも含めて、底抜けにいい人達ばかりです。音楽を愛せる人は、人や自然を愛せる人だと確信しています。数年前、私はわけあって独身になってしまいましたが、たくさんの友達のおかげで楽しく暮らすことができています。それも、私の大好きなミュージシャンやそのまわりにいた素晴らしい人達と出会えたからなのです。
今の私の音楽ライフは、単に音楽を聞くばかりではなく、音楽を通じて人の心と関わり合うことが重要になってきています。それは、音楽を発するのはCDでもコンピューターでもなく、人間の心が演奏し、唄うものだからです。

Shoichiro Yamaguchi

HOMEに戻る