やまさんのちょっとひとこと

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ライブリポートも最近書くのがめんどうになりましたので、このコーナーは私、やまさんが最近気づいたことや思いついたこと、面白かったこと、腹立った事などの独り言を書くことにしました。

2000年上半期(2000年7月9日記)

 久しぶりに、このページを書くことにした。最近、掲示板が出来たのでそっちに思いついたことは記している。しかし掲示板は永久的に保存されているものではないので、やはりこちらに書くことにした。
 2000年ミレニアムの幕開けは、AB's屋のばか騒ぎで始まった。失業中の私は、いやでも仕事も始めなければならない、それにはなんとか景気の回復、そんな祈りの年明けであった。
 そうこうしているうちに、母の死・・・。あまりに突然だったので、まるで心の準備ができないまま、あの世に送ってしまった。葬儀や法事などであっという間に数ヶ月が過ぎていった。3月いっぱいで、雇用保険の給付が切れる。どうしても、何か仕事をしなければならない。かといって、まったくサラリーマンになろうという気はおこらない。いつものええ加減な気持ちで、税務署にいって、個人事業開業届を出した。しかし、これといったビジョンはまるでない。後は景気がよくなって、何をしてもお金になるような時代を待つだけか。しかし、もうあのバブルの時のようなことはもうないだろう。開業から3ヶ月、飢え死にせずに生きていられるのはありがたいことだ。
 今年は、私の周りではめでたいこともたくさんあった。小竹親の結婚・・・心から祝福している。できちゃった結婚は私の方が先輩である。それにほかにもミュージシャン関係の寿ごとがあり、自分もすこしお手伝いをさせてもらったが、なにかそんなことにみんなでエネルギーを使えることがとても楽しいことに思えた。
 それから、今年ほど一人で歌える機会が多かったのも特徴かもしれない。AB's屋で飛び入りや、寿パーティーなどなど、それもたいがいれっきとしたミュージシャンをバックに歌っている。とても気持ちのいいものだ。その理由のひとつに茶木のアコースティックギターを手に入れたことがある。このギターは友達の家のお仕入れに長年眠っていたものだ。年代は不詳である。いわゆるフォークギターだが、茶木でこのようなギターを作っていたなど、あまり知られていない。外観はともかく、音が素晴らしい。自分ではあまりわからないが、小竹兄は「ええ音してんな」といつも言う。先日ラグでの寿パーティーでTears in heavenを弾き語ったが、自分でも気持ち良かった。それはそうだろう。バックには小竹兄、大村あつしというメンバーなのだから。こんな人たちをバックに歌える私は幸せである。

2000年7月6日

 きのうで仕事がなくなった。ちょっと数日間おやすみである。そういうときはオフィスワークということにしてある。まあ、ほとんどインターネットをしているか、昼寝をしているかだが、形はオフィスワークだ。ちょっとだけでも金銭出納帳をつけた。たまにやっておかないとレシートの山ができる。今日は前から「大西ゆかりと新世界」のライブを見に行こうと思っていたのだ。大阪の帝国ホテルの地下の「パタパタ・デラサルサ」というお店である。夕方に大阪の友達と天満橋で待ちあわせて歩いて桜宮に向かった。しかし、帝国ホテルとは恐ろしくデカイ建物である。
 第一ステージが始まった。お客は私と友達の二人だけ。ゆかりさんは「私には200人にも300人にも見えます」そんな感じの軽快なMCにのせて、60年代、70年代の歌謡曲のカバーやオリジナルを歌いまくる。そう、あの当時の歌謡曲はそういわれてみれば、すごかったなと今更思う。私も音楽に入ったきっかけは、三橋美智也や、春日八郎であるからして、歌謡曲はやはり心の中には大きく位置を占めているのが自分でもよくわかる。私が始めて大西ゆかりさんを見たのは、何年前かネガポジでの久井康治のライブにでておられたときだ。たしかソウルとかブルースとかを歌っておられたようだが、すごく印象に残っているシンガーなのだ。それがいつだったか、アンデパンダンのカンパ制ライブで、この「ザ・歌謡曲」を見てからますますファンになってしまったのである。とにかく大阪人特有のキャラクターを全面に押しだして、しゃべるは歌うは。実際に見ないことにはわからない。これは。絶対見ることをお薦めする。毎週木曜日、大阪帝国ホテル地下「パタパタ・デ・ラ・サルサ」に行くべし。
 第二ステージからお客さんも入ってきた。踊りまくる客もあり。ステージ前方はかなりスペースをとってあり、踊れるようになっているのか。本当は第二ステージが終われば、帰る予定であったが、あまりに楽しいので最終ステージまで見てしまった。しかも飲みまくり・・・。しまった。ここはホテルなのだぞ。気がついたときにはもう遅い。しっかり税金サービス料まできっちり取られた。しかし、貧乏な私が大枚をはたいて見ても(やまもり飲んでるッちゅうの)後悔はしないほどの楽しさなのである。帰りは、最終電車にぎりぎりで間に合ってセーフであった。くれぐれも帝国ホテルで一泊にならないように。しかし、それもいいかも。大阪の新しい夜のツアー・・・「大西ゆかりのザ歌謡曲」帝国ホテル一泊ツアーってのはいかがかな。

2000年7月8日

 今日は、おしゃれにジャズでも聴こうか。なんて気になることはないだろうか。私ももともとジャズは好きなほうなのだが、何か最近あまりにジャズが堅苦しくなりすぎたようなそんな気がして、ちょっと遠ざかっているのだが。即興演奏というもの、もちろんこれは理論によって成り立っているのかもしれないが、ジャズの解説書などを見ても私には頭が痛くなるだけである。それよりももっと心の叫びを音で表すものではないかと私はずっと思っている。多分、こんなことをいうと出来ないもののねたみのようにとられても仕方はないが。ジャズがエリートのための音楽になってはジャズの将来はないと思う。譜面の読めない天才的なミュージシャンがもっといっぱいいてもいいと思うのだが・・・・。でも、実際は決してそうではない。本当にピュアな心のジャズマンたちがたくさんいることも私は知っている。
 京都の三条に「ル・クラブ・ジャズ」というお店がある。ここは、ほとんど毎日ライブを聞くことのできるお店なのである。私はいちどもまだいったことはなかったのだが、たまたまインターネットで知りあった人が、この店によく出入りしているらしいと聞き、いってみることにした。今日は角田浩(P)トリオのライブがあるらしい。角田さんは、去年、井上智のツアーの時にラグで演奏をされるのを聴いている。素晴らしい繊細なピアノを弾かれる方だ。私が店に入ったら、まだ誰もお客さんはなく、店の人と、バンドの人たちだけだった。この店は私的にはとても落ち着くいい店である。マスターは男前、ママは美人。ここまでそろうということなし。(笑)何か、マスターとママさんの人柄がそのまま店の雰囲気にでているような感じがする。その店で、また私はある人と出会うこととなった。インターネットでの知り合いでメールや掲示板でのみ話したことのある人なのだが、角田さんにピアノを習っておられて、去年の井上さんのライブの後から、ネット上でお話をする機会があったのだ。その人らしき人物を発見したが、確信はなく、でも角田さんと話しているし、多分間違いないと話しかけたら、当人であった。多分最初は変なオヤジが声をかけてきたと違いない。脅かせて申し訳ない。でも、初の対面となってめでたしめでたし。でも、声もかけずに後からネットであそこに座っていたでしょうっていうのも、ストーカーみたいだし間違っても声をかけるほうがいいと思う。しかし、こうゆう怪しい中年は本当に注意するに超したことはない。
 そんなわけで、楽しい日となった。またもや、最終ステージ客は私一人となっても、ミュージシャンにはきっちり演奏させ、またもや飲みすぎ。

2000年8月13日

 今月はすごい数のライブに行くことになる。それにイベントやボイトレなどもいれると、月の半分以上は外出ということになる。普通の家庭人では不可能な数字である。独身でよかったとこんなときに思う。
 昨日は井上智さんのライブであった。今回のツアー中、京都でのライブがセッションも含めて3回もあったのは私にとってラッキーであった。井上さんのギター、グレゴアーのハーモニカを堪能することができた。それにしても、最近JAZZのライブによくいってるのだが、お客さんはおとなしいのにおどろく。クラシックの演奏会と思うくらいに静かである。もちろん、演奏の細部にわたるまで聞き取ろうと思うと、静かにしていないと聞こえないかもしれないが、私が思うに、JAZZのような即興で演奏する音楽は、客と演奏者が一体となって成立するものだということ。多分、演奏者も反応を欲しがっているとは思うのだが。日本人はそのへんが奥ゆかしいというか、感情を素直に表すことが苦手なようだ。そういう私も、以前は声をかけることなどほとんどできなかったのだが、いろんな音楽を聴きに行って、演奏者と観客のコールアンドレスポンスをとても大事にしているミュージシャンなどと出会って、自然とそういうことができるようになったのだ。しかし、これはノリの問題であって、まったくノってもいない状態で、客を立つように要求するミュージシャンなど、論外である。
 先日、私のバンドのメンバーの娘さんが結婚をして、その二次会のパーティーで演奏する機会があったのだけれど、始めはだれも静かに聴いていたのだが、三曲目位に皆さん踊りませんか?と声をかけたら、みんなが踊りだして、大騒ぎになってしまった。なんと、多分いままで踊ったことはないだろうという感じの新郎の父親が一番前で踊っているのを見て、これは負けられんとばかりバンドの連中も多いに盛り上がったのである。しかし、どうしてもノレない人ってのは、必ずいるもので、私のバンドにも一人いて、どうすればこいつをノセることができるか、ひとつの悩みでもあるのだ。

2000年8月15日

 先日、三条通りでバッタリと市川修氏(ジャズピアニスト)に出会った。ちょっと立ち話をして、「明日、清水寺の舞台で演奏するからひまやったらきいひんか?」ということだった。市川修氏とは私の高校時代の同級生で、そのころちょっとだけ一緒に音楽もしたことがあるそんな仲なのである。「暇なので行くわ。」といってその場は別れた。

 清水寺はこの時期、千日詣りとやらで、夜間の拝観をしている。東山通りから坂をどんどん上がっていくと清水さんはあるのだけれど、夕方とはいえ、ビール2杯も飲んで坂を上がるのは結構きついものだ(誰も飲んでくれとはいってないが・・・)。あの有名な清水の舞台。そこから飛び降りるのでなく、ピアノを弾くという。あそこまでピアノを運ぶのはしんどかったやろなとか、いらん心配が頭をよぎった。奉納演奏市川修と書いてある。なんでもここでジャズをやるのは初めてらしい。8時頃から先ずお勤めがはじまった。ライトアップされた舞台。京都の夜景。そしてお経がなんともいえないシチュエーションを作ってくれる。ああ、京都のお盆やという感じ。

 お勤めも終わり、8時半頃から本尊様の前にピアノが運ばれ、演奏が始まった。荒城の月が演奏される。おっ、いっちゃん今日はしっとりと日本の曲でやるのかと思い気や、やっぱりいつもの市川JAZZがすぐに始まった。彼も最初はとても緊張していたみたいだが、聴衆の掛け声や拍手で、だんだんノってきた。最後にはあの立ち弾きまでが飛び出したぞ。ご本尊様もさぞびっくりされたことだろう。一時間近く演奏していたのであろうか。最後の曲に拍手はなりやまず、アンコールで「スターダスト」を演奏して幕を閉じた。
 京都の清水寺ということで、外人の参拝客も多く、彼らには、このイベントがどのようにうつったのだろうか。でも、老若男女それぞれに楽しんでいたみたいだった。

清水寺本尊前で演奏する市川修

2000年9月1日

 ああ、私の好きな夏も終わってしまった気がする。8月はたくさんライブにいった。10本以上のライブにいった。きっと私のなかでも最高記録であろう。しかし、このまま、どんどんいたるところで好きなミュージシャンができ続けたら、私は一体どうなるのか・・・。毎日、ライブに行くのだろうか。それは多分無理だろうが、考えると恐ろしくなる。しかし、一つだけライブに行くのを減らす方法があることが、わかった。それは自分がミュージシャンになって、ライブに出ることだ。(笑)

 9月1日は、私の好きな安倍令こ&大村あつしのライブが、木屋町のEASTというライブハウスであった。ここは私が好きな、バー風のライブハウスである。私の好きな席はカウンターの左から二つ目位の席である。見るときは振り返らなくてはならないが、私にとって落ち着く場所である。いろんなライブハウスで自分が妙に落ち着く場所ってないだろうか? 私には絶対ここがいいという場所がある。例えば、EASTでは前述のところ、ラグでは後ろの右の机の左前。ネガポジでは正面右側の机の左後ろ。このように必ず座る場所が決まっているのが私の癖?だ。もうミュージシャンのほうが良く知っていて、ラグなどでは私がその席にいないと、来てないものと思われるらしい。我ながらそれほどよく通ったものだと思う。

 あべちゃんのライブが終了して、外へ出て、河原町方面に向かう。ちょうど丸善の横に出てくるのだが、今日は小竹のお兄ちゃんの声がする。彼がこの丸善の前で演奏するようになってから、もうどれほどになるのか。最近はストリートで歌う若者も増えてきて、場所を取るのもたいへんなようだ。いつものように冷かすことにする。お兄ちゃんは丸善の中央。その左に占いや、似顔絵や、アクセサリーや、写真などの人が店を出している。まるで夜店のようだ。今日は金曜日の割にとても人が少ない。学校が始まったからであろうか。木屋町も、河原町もひまみたい。お兄ちゃんのギターケースの中にも、お金はちょっとしか入っていない。さっき、ニューヨーク帰りの子供に「420円じゃ、だめじゃん」とばかにされたらしい。このネタはまたライブのMCになるだろう。そんな暇なので、私が一曲歌わせてもらうことになった。やまさんのストリートデビューである。いやあ。気持ちええやんか。酔ってて歌詞とコードを覚えている歌、もちろんティアーズ・イン・ヘヴンである。だれも客は立ち止まらなかったけど、とてもいい気分であった。隣の占いの兄ちゃんが拍手してくれた。そんなストリートデビューであった。暇なのでみにいこっていうことで、近くのジャズバーに飲みにいったら、そこも暇で客はだれ一人いなかった。(笑)

にぎわう京都丸善前ストリートで気持ち良く歌う私(撮影=小竹直)   


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